古くから宇品島には「狗賓さん」がいると伝えられてきました。狗賓は天狗の一種とされ,一般的に犬の顔を持つと伝えられています。山神の使者とも言われ,人間に対して山への畏怖感を与えることがその存在の目的だと考えられています。宇品島で起こる怪奇な現象は全てこの狗賓によるものとされてきました。 

 

元宇品の歴史~元宇品の古老の書き残した文書~

この島の森は鬱蒼(うっそう)と繁(しげ)っていて,神秘的な一面を備えていたので古老は宇品の山には宮島の弥山から三鬼さんの眷族(けんぞく)である狗賓さんが遊びに来られるそうなと語り伝えていた。 

狗賓さんについては古い物語が伝えられていた。 

天保年間(1830-40)の頃或る家の嫁に至極(しごく)素直なのがいたが山林内へ松葉を取りに行って深篭(ふぐ)に詰め背負うとすると後ろから引っ張るものがあるので付近を見廻しても人影はないから又背負うと引っ張られるので,ふと狗員さんのことを思い出し彼の女は「狗員さんこらえてください返りを急ぎますから」と声をかけると引っ張る力がなくなり立ち上がったら頭の上の方で異様な笑声が聞こえたので驚いて大急ぎで家へ戻ってその話をしたということで,その後も時折(ときおり)そんなことに会うたと伝へられていた。

その頃杉屋の分家の十四,五才の男の子が突如姿を消したので島中大騒ぎとなり方々を手分けして探し廻ったが見当たらずこれはきっと神隠しに会うたのだと恐嘆(きょうたん)していたが,翌日も探し歩いていたら裏海岸白石谷の沖の岩(水族館前にある岩)の上にいるのを見つけ伴(つれ)れて返り「どうしてあの岩の上に行ったか」と質問しても「人に言うなと堅く口止めされている」というので親達は叱ったりすかしたりして漸(ようや)く本当のことを語らした。 それによると「山畑の辺で遊んでいたら誰か見知らん人が抱くように伴れて行くので歩いていたらいつの間にかあの岩に降りていた」というのであった。 伝え聞いた人々は「それは狗員さんに伴れて行かれたのであろう」と噂が広がっていたが,その後彼れは気の抜けたような人間に変わってしまったと伝えられていた。 

狗員さんの姿は果たしてどんな姿か実際に見た人はないのであろうが,昔から唖者(あしゃ)には見えるそうなと伝えていた。 
 明治中期に江村岡の山林にあった老松が風もない好い天気の日に一本だけ中央辺りでばっさり折れたことがあった,島の人達は「この無風の好天の日にあの松が折れるとは不思議なこともあるものだ」と話題になった。 
 
その頃中年の男唖者がいて所在なさに山の方を眺めていたものか,松の折れたのを指さして握りこぶしを重ね鼻の先へ伸ばし(天狗の鼻の真似をする)足を踏ん張って折ったと顔の表情や手真似でそれを示したことがあった。 人々は皆驚いて唖者は実際に天狗さんが見えたのであろうかと半信半疑で噂の広まった事がある。

 以上のような伝説に近いような話が伝えられていたので,明治末期頃までは婦女子が焚付(たきつけ)を取りに行くのにも一人では恐れて入らず,大抵何人か誘い合はして入っていた。 

厳島神社の大鳥居は過去8度の建て替えが行われており,江戸,明治期の建て替えでは宇品島のクスノキをかなりの本数利用した記録が残っています。厳島と宇品島は山の樹木を介したこうした関りがあることから,三鬼大権言とその眷属としての「狗賓さん」が登場して,口伝されてきたものと思われます。なぜ,宇品島のクスノキでなければならないかは未だ解明されていませんが,この神事のために宇品の森の木は伐採を許されず,島では長く「枯損木を取り除くほかは伐採を許さず」との掟があったそうです。そして,島民の間では山へ無断で入ることは,狗賓さんの怒りを買うと恐れられていました。 

※ 広島県学校図書館協議会(小学校担当)の編著による「読みがたり 広島のむかし話」では元宇品在住の横田栞さんによる「狗賓さん」を読むことができます。元宇品の森に関する他の口伝と上手く合わされて,この島の森が大切にされてきたようすが読み取れます。ぜひご覧になってください。
この,「狗賓さん」で挿絵を描かれたのが中村徳守(1926 – 2018元安田女子短期大教授 新制作協会会員)さんです。元宇品の宝である4枚の絵を今回は広島県学校図書館協議会のご厚意により引用させていただきました。

 

引用文献                       
広島県学校図書館協議会「読みがたり 広島のむかし話」 
坂木道光他「元宇品の歴史」 昭和40年代        

アース・ミュージアム元宇品 自然観察ガイドの会 
坂谷 晃