アーティスティック宇品島【日露戦争】 vol1 

ロシアがウクライナに侵攻し,悲惨な戦いが行われています。 

日本も1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけてロシアが清国,大韓帝国に侵攻した際,ロシアと戦争しました。いわゆる「日露戦争」といわれた戦いですが,広島は国内の前線基地となったため,宇品は国内ロジスティック(武器や兵員の補給基地)の最前線という重要な地域を担いました。 

日本は1904年(明治37年)4月21日に第二軍を宇品から派遣,遼島半島の西岸に上陸し,5月25日には金州・南山に布陣するロシア軍を攻撃しました。 

この時,宇品から出征した兵士の無事を祈願した歌詞が,元宇品観音寺の参道,石段を登りつめた右側の自然石に彫り込まれています。 

観音寺参道

海よりも 現れ給う 観世音 つわものどもを守る凱旋 

作者は渡辺為吉で,日露戦争の間,元宇品の梅が浦(現在の広島グランドプリンスホテルの位置)に出張所を開設していた神戸株式会社川崎造船所に就労していたようです。 

観音寺の御本尊「十一面観世音菩薩」は源平の戦の際,源範頼がこの仏を奉持して平家追討西下の途中,宇品島近海で見失ったものが後年この島の漕網にかかって曳き上げられたものと伝えらています。 

梅が浦の工場から出航する船を見送りながら,戦がらみの観音菩薩に無事を祈願して詠んだのでしょうか。 

渡邊為吉については詳細は不明ですが,宮島の御笠浜にも句碑が建立されているようです。 

宮島の句碑

花嫁に見せてやりたい安芸なすひ 

神奈川県横濱市 靴師 渡邊為吉 

奉納された石灯篭 1933 観音寺本堂

川崎造船は日露戦争の終戦とともに出張所を閉鎖しますが,この際,観音寺境内に石灯篭を一対奉納しています。 

アース・ミュージアム元宇品 自然観察ガイドの会   
坂谷晃