旧水上警察署と長七たたき

 
 

令和5年3月11日(土)に「歩いて発見!うじなの魅力宇品港~軍港の名残りや名所を巡るまち歩き~ 」と題した宇品公民館主催の街歩きイベントに参加しました。 

コースは広島港宇品旅客ターミナル→暁橋→横綱安藝ノ 海生家跡案内板→宇品御幸松公園→市営桟橋→旧広島 水上警察署→宇品デポルトピア→宇品波止場公園→宇品中央公園→旧広島陸軍糧秣支廠倉庫→広島競輪場→宇品海岸第二公園(解散) でした。暁橋や安芸ノ海のお話もありましたが,コース内で気になったお話を2つ紹介します。 

その一つは旧水上警察署です。 

この建物は市内に現存する数少ない明治の木造洋風建築で,被爆建物にも指定されており,昭和39年までは警察施設として使用され,現在は広島県港湾振興事務所が管理運営しています。 

水上警察所は明治14年(1881年)設置され,中島新町から宇品島に,宇品島が広島市に編入されると同時に宇品町に,そして明治42年(1909年)現在地で建て替えられこの地に移転されたようです。 

宇品島にも緑がある建物と解りました。宇品島の何処にあったのでしょうか。 

もう一つは,明治期の干拓堤防です。 

水上警察署の建物の南に周り、どんどん西に進むと10メートル位の長さの石垣のようなものが見えてきました。これは服部長七の考案した、長七たたき(人造石)を使用して造られた明治期の干拓堤防というおはなしでした。 

明治33年8月 台風により決壊 

この場所は,明治33年8月の台風で堤防が約100メール決壊しました。干拓を終えたばかりの宇品新開は全域水没して海のようになり,長七の助言で修理され復元された箇所だったのです。 

長七たたきとは,真砂土と消石灰を水で練混ぜた土を締め固めたもので,水の中でも固まりやすい特徴を持ち何より安価であったこと。自然石と自然石の間にこれを詰めてセメント代わりに使いました。当時まだセメントが高価な時代でした。 

広島の発展の為に宇品簗港を千田貞暁知事が計画し,最初の技術者ムルデンが出した見積は18万円(今の100億円相当)。これに対して長七の見積額は総額8万7千円(このうち長七の請負額はたたきの技術を使い5万5千内)で県は長七と請負契約が成立した歴史がありました。 

人造石と言えば服部長七,宇品の干拓で一躍脚光を浴びますが,広島での工事期間は宇品島に滞在しました。今回の街歩きは,この堤防の存在を知っただけでも十分価値がありました。大切な数少ない明治期の建造物の存在と保存の周知をしてほしいですね。 

アース・ミュージアム元宇品 自然観察ガイドの会 
佐藤美佐子