宇品山・樹木名板の謎 

私が元宇品に通うようになった平成の始めの頃、この森は原生林と呼ばれていました。原生林とは、過去に大きな災害や、伐採などの人の手が加わったことのない自然のままの森林のことを言います。「元宇品には原生林がある」…大変魅力的な響きですが、ガイドの会では発足当初からこの表現について話し合いを重ねていました。 

「戦争の時、高射砲陣地をつくるために大規模に伐採されています。」 
「戦後は食糧難で畑を作っていました。」 

森は既に極相を成すところもかなりあるのですが、人の手が入ったことは確かなようで、原生林と言い切ることは難しいようでした。議論を重ねて、「原生林の面影を残す森」という表現に落ち着きました。 

新型コロナ感染が列島に拡大し県をまたぐ往来も自粛された2020年の暮、私は毎日宇品山に通っていました。県外からの帰省も無く時間がたっぷりできたのです。宇品山に構築された大東亜戦争時の高射砲陣地関連の戦時遺構を調べたい…下草の枯れる冬は遺構調査のベストシーズンです。森の隅々を良く知るようになった今では笑い話ですが、地図を見ながら稜線から無理やりロープを伝って降りたようなこともありました。そんな探索をしていたことが、思いがけないものの発見に繋がったのです。 

ここは高射砲陣地の兵舎があったところ…急斜面を垂直に降りたお陰で気が付いたのは草に覆われた10mを越える数段の石垣でした。うーむ、これは陣地に関連したものだろうか?それにしては作りが新しそうだな。 

その先の平坦地が兵舎の跡地にちがいない…と倒木を潜り小枝の吹き溜まりを乗り越えて進んだところ「えっ、これは??」 

「原生林?にこんな立派な立て札ってどういうこと?…」明らかに樹名板です。それも鉄板に支柱をしつらえた堅牢な作りです。立ち木に名札を付け、ここを園路に仕立てていたのかしら…近寄って錆びた表面を見てひっくり返りそうになりました。そこには消えかかった字で学名と和名『ユーカリ』と書いてあったのです。『ユーカリ』って、あのコアラが食べるユーカリだよね…原生林にあるはず無いよね…立て札の周辺には目立った樹木は無く、背の低い草本が生えているばかりです。 

こんな立派な樹名板を立てるくらいだから、それなりの機関がそれなりの手筈を整えてユーカリを『植樹』したに違いありません。あぁ、何か書いてある…穴が開くほど眺めても全てを読むことは出来ませんでした。 

森を出てもそのことが頭から離れることはありませんでした。大学が実験林を造ったのかしら、営林署の仕事かも知れない…帰宅して写真を眺めていたときふと思い出したのです。「…この樹名板の支柱、見たことがあるかも知れない…えーと、どこだったかな…」 

このひと月、戦時遺構を探すために私は目を皿のようにして地面を見て回りました。レンガ積みや石積み、コンクリートのかけらを徹底的に探したのです。見つけたら再度訪問し、スケッチして緯度経度を記しスケールを当て写真を撮りました。その時に地面から突き出た白い棒を見つけていたのです。「…あれは樹名板の支柱だったんだ!」…ということは、あそこにも、あそこにも立て看板があった、つまり原生林と言われていた宇品山の森に広く何かの木が植樹されていたということなのか…。 

後日、ガイド仲間にこの話をして現地を案内しました。樹木看板の白い支柱はあるが、樹名の書かれた板が無くなっていて樹木の名前は分からない、ユーカリのように、他所から持ってこられた樹木ではないかと推察していることを伝えると、一人のガイドさんが「これじゃないのかしら?」と一本の大木を撫でています。えっ、メタセコイアも?! 

支柱
メタセコイア 

    

以前からとても不思議に思っていたことがありました。原生林というのにどうしてメタセコイアがあるのかな?そういえば、北米原産のテーダマツも、ラクウショウ(ヌマスギ)も。 

戦後の森ってどうなっていたんだろう…国立公園に指定されて保護されたはずなのに、どのような経緯で外国産の樹木がここにあるのか…。 

テーダマツと松ぼっくり(高射砲陣地兵舎跡)
ラクウショウの気根(灯台下) 

広島森林管理署に相談すると思いがけない回答を頂きました。 
宇品山の「ユーカリ」「メタセコイヤ」について 
宇品国有林の昭和40年~45年の森林計画(5年間)の資料に中に、場所は確定できませんが「ゆーかり」の記載がありました。 現在の森林調査簿では宇品山国有林44に林小班の面積は16.22haですが、以前は複数の小班で管理・整理されていたようです。 その小班の一部に「見本林」の記載があり、「ゆーかり」の外に「どいつとうひ」「おりーぶ」「落羽松(ラクウショウ)」「れっどうっどせこいや」等の樹種名の記載がありました。(いずれも植栽した年度や数量(本数)などの経緯は不明です。) 

「見本林」ということですから、外国の樹種が瀬戸内の気候の元で育つかどうかを観察するために植えられた林なのでしょう。調べてくださった森林監督署の方もご存じなかったそうです。現存する木がその当時に植えられたものかどうかは分かりませんが、元宇品の森にそんな歴史があったとは思ってもみないことでした。私達の驚いた姿を知っているのか、いないのか・・・木々は語らず、今日も瀬戸内の陽光を受け海風に枝葉を揺らしています。 

アース・ミュージアム元宇品 自然観察ガイドの会
副代表 畑 久美