アーティスティック宇品島【遊宇治奈】

宇品島は古くから島外から訪れる人々たちの癒しの場,リゾートの地でした。文芸,美術,音楽,映画などの芸術には思い出の地になった宇品島(元宇品)を表した作品がいくつかあります。その中から,今回は江戸初期の武将,文人であった石川丈山による漢詩「遊宇治奈」を紹介します。 丈山の自書を探したのですが,発見できませんでした。書道では隷書を得意としていたようで,秋田の書家竹村天祐さんにお願いして書いていただきました。 

竹村天祐 書

宇治奈(うじな)に遊ぶ
鬱々(うつうつ)たる絶島,屹々(きつきつ)たる遠山
蝉は樹上に噪(さわ)ぎ,鴎は波間に睡る。
風月無辺 塵外の境 晩来江上 舟喚(よ)び還る。 

鬱蒼とする島の樹木、高く聳える背景の山。
蝉は木の上で鳴き、鴎は波間に漂って眠る。
風流このうえない 世俗のそとの世界にいつまでも居たいが,
日が暮れたので残念ながら舟をよんで帰らねばならない。 

丈山の漢詩は遊宇治奈にも観られるように,日常生活の中でわき起こる感興を詠じた閑適詩が多いといわれています。 

彼の生涯をたどると,天正11年(1583年)三河の生まれで,徳川家康の家臣,浪人中は儒学を学び,その後,紀州の浅野家に仕官します。元和5年(1619年)36歳のころ浅野長晟(39歳)の転封に従って広島に同行し,住まいを田中町字二軒屋敷に構え,ここで13年ほど過ごします。母が死去した際に浅野家へ引退を願い出ましたが許されなかったため,強引に退去し京に出,のちに一乗寺村に隠居し,寛文12年(1672年)に亡くなりました。 

石川丈山像(狩野探幽筆、詩仙堂蔵)

 

生涯,優秀なのに清貧を旨として学問に没頭し,表に出ることなく過ごして,広島では徳川,浅野両家の間で楽にない宮仕えをこなしていたものと思われます。

江戸期に絶島であった宇品島は丈山にとって宮仕えのストレスから解放される「風月無辺塵外境」だったのですね。茶や庭にも長けた風流人からそう表現された宇品の島はとても素敵です。 

※天正10年に「うしな(牛奈)」と呼ばれていた島が,元和になり「うじな(宇治名)」と呼称されるようになったのはこの間なのかもしれませんね。 

 

中野重雄 画

引用文献                    
薄田太郎「がんす横丁」たくみ出版 昭和48年 
仁保村役場「仁保村史」 昭和4年

アース・ミュージアム元宇品 自然観察ガイドの会 
坂谷 晃