WEST COAST HISTORY 【昭和産業博覧会】 

明治27年の日清戦争から大正7年に第一次世界大戦が終了するまで,戦時海運の最先端を進んでいた宇品地区は戦争バブルのため大盛況だったと思われます。まだまだ景気の良かった大正11年頃から宇品別世界は建設が始まります。 

 その後,日本の経済状況は少しずつ悪化していき,5年後の昭和2年の金融恐慌に始まり翌々年には世界恐慌になってしまいます。 そうした経済状況が影響したのか,昭和3年に「宇品別世界」は解散し,元宇品土地建物に施設を譲っています。 

この時期に広島市では「昭和産業博覧会」を開催する計画があり,別世界はこの会場として選定されました。 

昭和産業博覧会協賛会 ポスター
昭和産業博覧会協賛会 広島市鳥瞰昭和産業博覧会会場分布図

元宇品(別世界)が選定されたのは次のような理由からです。

第三會場の概況(博覧会誌から) 

「異彩ある會場 
日清、日露兩大戦役を始めとして,幾度かの戦時に,常に皇軍輸送の大役を果し來たった宇品港の名は夙に人口に膾炙せるところである。この宇品港の西側を扼し,天然の突堤をなして浮かぶ元宇品が,本會の第三會場として,撰ばれた地である。 元宇品は千古斧の加はらざる處女林で老樹欝誉として繁り、瀬戸内海の蒼波を隔てては、安藝小富士の稱ある似島、日本三景の一たる嚴島等を展望し得る。この島の西岸、別世界と稱する海水浴場を利用して,土地柄に相應しい海軍參考館と水族館を設けた。 
海邊に巍然と聳えたった軍艦型の海軍參考館、さては龍宮殿を髣髴せしめる水族館の壯麗美觀は更なり、沖合遙かに、吳海軍より派遣の艦艇が巨軀を横たへ,夜ともなれば,各館の電飾鮮かに静かな海面に美しい影を投じ,サーチライトは五色の光芒あやなして海陸を照射する等,その状能く筆舌に盡くし得べきにあらず,實に特異の光彩ある會場として,観覽者引きも切らず,無慮五十萬の大衆を香吐して大盛況を呈した。」 

当初,会場は東・西のいずれの海岸に選定するか問議されたようですが,以下の理由で西海岸が選定されました。 

「水族館その他に利用し得べき既設建物を有すること 
水族館に對する給排水設備に便なること 
海軍參考館に出品さるべき、重量物件の搬入出に便なること 
艦艇拜觀に關する連絡設備上にも何等差支へなきこと 」

昭和産業博覧会 鳥瞰図
第3会場歓迎門

昭和産業博覧会 
広島市主催の昭和産業博覧会は、昭和4年(1929年)3月20日から5月13日まで55日間、市内3つの会場で開催され約174万人が入場しました。

第3会場会場配置図拡大図
博覧会会場配置図

 

海軍参考館 

海軍考館は外觀を全く軍艦に模して造られ,内部は六階に分たれた、従来の博覽會中稀に見る高暦建築で実に堂々たる僚親を呈していた。出品物の数は実に一千余点の多きに達し,いづれも,海軍に開する智識を得るに貴重な品物ばかりであった。(博覧会誌から) 

海軍参考館
閑院宮載仁親王 御成り

入口は艦首下部になっています。海軍参考館の文字上の御紋章は軍艦鹿島のレプリカです。 

会期中閑院宮載仁親王 御成りがあり,川淵會長の先導で海軍館では海軍大佐 山名寬一郎、水族館では同廣島縣水産試験場長 牧野謙二が解説したそうです。 

海軍参考館陳列図の1(1階)
海軍参考館陳列図の2(2~5階)

館内に入ると1階では軍艦敷島の砲塔模型や高角砲,無線電力で操縦される潜水艦(現在でいうドローンサブマリンでしょうか)の実演,模型魚雷,水雷の発射実演などを観ることができたようです。 

2階に展示された大海戦のパノラマですが,いずれの資料にも詳細が載っていません。おそらく規模からして日本海海戦のようすだと思われます。 

3階には東郷元帥をはじめとした海軍軍人の写真や宮島丸の模型,4階には加藤友三郎元帥等の写真,5階には100倍望遠鏡,サーチライトが展示してあり自由に試用できたようです。 

水族館  

集められた魚介類は百数十種の多きに達し、平素見なれないものも多く、たとえ見なれたものでも、その実際の生活状態が判って,実に興味深く,連日身動きもならぬ盛祝で、昭和博中屈指の呼び物であった。(博覧会誌から) 

館内には14個(淡水6・海水8)の水槽があり,淡水槽には,カメ・サンショウウオ,カニ,ナマズ・ニナ,ワキン・オタフクガイ,フナ・ランチュウ・オランダシシガシラ,コイ・タナゴなどが陳列されていたようです。 

また海水槽ではサメ・チヌ・スズキ・メバル・アワビ・サザエ,アジ・エイ・メバル・マガキ・アサリ・ハマグリ,タイ・エビ・カニ・マテガイ・クラゲ・ワカメ,オコゼ・ベラ・ウニ,タコ・イカ・ナマコ,フグ・トリガイ,ハギ・ヒトデ,タツノオトシゴ・ヤドカリが鑑賞できました。 

そのほかにも干し物・佃煮・缶詰等の水産品の陳列や水族館前のプールではカキの筏(いかだ)篊(ひび)の実演も行われていました。 

望海食堂 

宇品別世界の食堂施設をそのまま使用していました。

ビーチ沿いの桟敷が休憩所として利用されたようです。 

艦艇拝観 

海軍呉軍港から3月には陸奥・山城・日向の新鋭艦を宇品に入港させ,一般拝観を行いました。4月には第18駆逐隊,第11潜水隊を宇品に回航し同じく配管配管を実施しています。また,投錨中の夜間にはサーチライトで夜空を照らすなどの演出も行ったようです。 

閉会後にこれら施設がどうなったかは現在調査中ですが,経済状況の良くない時期でしたのでおそらく廃止になったと思われます。食堂や隣接のビーチは市民に利用されたようですが,間もなく日中戦争が始まり,宇品島西海岸も戦時体制へと入ることになります。 

    

参考資料:「広島市主催昭和産業博覧会誌」広島市役所1930年
「広島市主催昭和産業博覧会協賛会誌」昭和産業博覧会協賛会1930年
「広島市主催昭和産業博覧会写真帖」昭和産業博覧会協賛会 1929年 

アース・ミュージアム元宇品 自然観察ガイドの会 
坂谷 晃