嚴島神社の大鳥居と宇品島の楠


 

嚴島神社の大鳥居は1875年の建立から140年以上が経過し、損傷や老朽化が進んでいるため「令和の大改修」に着手しました。2019年6月から修復作業のため足場に覆われていましたが、改修工事は2022年末までに完了し全貌が現れました。

大鳥居は,高さ16m,棟の長さ約24m,重さは約60tと推定されます。主柱にクスノキの木が使用されている理由としては次のような利点が述べられます。
〇他の木材よりも重量があり,腐食しにくく,虫がつきにくい

〇クスノキはそれほど環境を選ばず早く育つ,育ちが早いので巨木が数多く育ち入手しやすい。

現在のものは明治8年(1875)年に建立され,初代を平清盛時代とすると9代目となります。 この間約800年ですから平均すると90年に一度改修してきたことになります。

明治8年 大鳥居債権関係資料

代目(明治時代)
1875年(明治8)大鳥居債権関係資料には屋根板が「宇品島」から伐りだされた旨の記載が見られます。 。
1876年(明治7)8月「大鳥居建諸入費積」によれば,屋根板は,長さ5尺5寸(約166㎝),幅1尺5寸(約45㎝),厚さ4寸(12㎝) の大きさで,総数252枚 ,費用59円22銭と記載されています。  その他の笠木,島木,大貫,袖貫は杉材 で材料は基本的には宮島島内から調達されています。  

鳥居屋根の状況

大鳥居の主柱は周囲が約15mになり,クスの巨木を根から彫り上げて使用しています。海中にある部分は腐食が進むため,主柱は継がれていたこともあります。

水中部の楠根の部分は腐食が進むので何度も交換しているようです。が,鳥居下部は直径3.5m高さ5m 、元宇品南部に現るひこばえ穴が直径3.8mとほぼサイズが同じであることを考慮すると宇品島のひこばえの大木が切り出された可能性もありますね。大鳥居の袖柱は約10mでクスノキ4本を使用しています。

8代目享和(江戸時代)
前々回1801年(享和1)3月27日に大鳥居を再建し落成した記録があります。
材料のクスノキは和歌山県牟婁郡,広島市宇品,竹原市,呉市などから運んだとされ,
屋根板にはクスノキが使用されています。この「広島市宇品」は宇品島です。

それではなぜ、宇品島のクスノキがなぜ宮島の大鳥居の再建や改修に利用されたのでしょうか。
〇主柱等の大きさや重量を考えると陸上搬送は困難を極め,台船等を利用した海上輸送が合理的です。産地が島であることは搬出が容易であったでしょう。
〇屋根板は製材が必要で製材後は運搬も容易になります。宇品島では海運業や造船が盛んであったので、島のクスノキを加工し運搬することは理にかなっていたでしょう。 そのため,袖柱や屋根板にも宇品島の楠が使用されたのではないでしょうか。

海図第175号 宇品港 明治37年2月 刊行
アカマツの島 1950年頃の信号塔 伊藤武夫氏資料

宇品島には原植生であるブナ科の樹木やクロキ、カゴノキ、クスノキなどから成る『常緑広葉樹林』が今も残っています。宇品島の森は古来一切伐採されなかったといったお話も聴かれますが,鳥居の棟板に利用した材木は,会議机の大きさで12㎝の厚さのものが258枚となると,樹齢100年くらいの木が数十本伐採されなくてはなりません。明治当時の地図には「松樹全島ニ繁茂ス」と記載が見られることから,相当数のクスノキが伐採され、その後アカマツが茂ったものと思われます。
このように宇品島のクスノキは、宮島の大鳥居の再建や改修に深い関わりがあったと思われますし、古来より大鳥居再建、改修の為の材木の重要な供給地であったのかも知れません。

参考文献 嚴島神社の大鳥居 県立広島大学宮島学センター 秋山伸隆

アース・ミュージアム元宇品 自然観察ガイドの会    
坂谷 晃