WEST COAST HISTORY 【大本営陸軍第二通信隊通信所】

昭和16年日本が米英に宣戦布告して宇品島は基地要塞化が進みます。山の上には高射砲陣地が構築され,大戦中は島内いたるところが一般人の立ち入り禁止区域になります。

別世界と呼ばれた島西部の海水浴場周辺は大戦末期には地下壕が掘られます。この地下壕について多くの文献は陸軍運輸部の司令所のように書かれていますが,どうもそうではないようです。元宇品の歴史をまとめた書物に次のような記載があります。

「秘密軍事施設にまつわる話
太平洋戦争中元宇品山林に特殊高射砲部隊が駐屯していた事は一般に知られているが,今一つ大本営直轄部隊 が常駐していた事は元字品町民ですら知っている者は少ない。其の部隊は或種の技術者であった事は間違いない。 期に至って家屋疎開が命令されて町内の家屋も間引き解体する作業が始まった。それに当つたら 紙を貼られるのである。私の家屋にも赤紙が容赦なく貼られた。 ところが,私方には此の秘密部隊の幹部が宿泊している事が判明して,解体を免れたのであった。」

ではこの大本営直轄部隊とは何だったのでしょうか。 

米軍による沖縄上陸や各地への空襲など戦況が悪化する中,当時の軍は1945年4月,「本土決戦」に備えて,第一総軍司令部は,東京に,広島に西日本を統括する第二総軍司令部を設けました。

原爆被害関連部隊一覧

この表は原爆が投下されたとき広島に存在していた部隊を抽出したものの冒頭です。広島市向宇品洞窟内には大本営陸軍第二通信隊通信所が存在したように記録されています。

この規模はどの程度だったのでしょうか。

『風雪三〇年』(三菱重工業広島機械製作所と造船所に勤めていた人達の回想録)
「またある日,宇品の近くの陸軍基地を見学し驚いた。山腹に横穴壕を掘り,一切の設備を持った室が多数並び,連絡路が蜘蛛の巣のようにめぐらされており,当局は誇らしげに案内してくれた」

との記載が見られます。私は戦後20年位経た頃に最も東側の洞窟にほんの数メートルしか入ったことしかありませんが,壁面が黒焦げであった記憶があります。

「地下壕に埋もれた朝鮮人強制労働」(明石書店)で作成された地図をもとに通路等の設置想定図面を描いてみました。
地下壕は長さ約120m,大きさは5000㎡で現在の県立体育館グリーンアリーナくらいになったのではないでしょうか。

地下壕の入口,壕内の写真です。1993年(平成5年)5月5日撮影されたマンション建設前のようすです。

地下壕内は未完成の部分もあったようで,構築しながらすでに使用したものだと思われます。終戦と同時に施設は撤収,証拠隠滅のため破壊,焼却されました。

敷地はその後宇品天然水族館が開館し,閉館後は宇品ベイサイドパレスとなっています。大本営陸軍第二通信隊通信所については,未だ不詳です。今後も調査を続けていきます。

参考文献                                  
    ふるさとの夢物語 小林治平    昭和40年                
風雪三〇年 三菱重工業広島造船所 昭和52年                
地下壕に埋もれた朝鮮人強制労働 広島強制連行を調査する会 明石書店 平成4年

アース・ミュージアム元宇品 自然観察ガイドの会    
坂谷 晃