WEST COAST HISTORY 【マリンパーク宇品天然水族館 】 

昭和20年,戦後になって別世界海水浴場は一般に開放され海水浴場としてにぎわいます。似島の実業家浜本乙松氏は軍関係の仕事により宮島や宇品島に土地を所有します。大変ユニークな性格で「必ず日本は裕福になる」「楽しい事はもうかる」とゴルフ場を買うなどリゾート関連の投資をしていました。水族館は老後の楽しみとして始めたようです。
当初は旅館等を営業していた宮島の地で水族館を造りたいと思っていたようですが,既に広島県で宮島の開発のため水族館を造る計画が上がっていたため,宮島での建設を断念して宇品島の地を利用することとしました。
そして昭和33(1958)年5月 ,「宇品天然水族館」を開園しました。

水族館と名前がつけられていますが,施設の内容はアトラクションを備えた遊園地,当時としては珍しかったゾウやライオンが観られる動物園,海水プールと塩湯の温泉に保養施設を備えたヘルスセンターが併設された総合レジャーランドと呼べるものでした。                                 

敷地中央部には大きな池があり,瀬戸内海で見られる魚が放流されていました。開園後にはスナメリクジラも飼育され,2年に1回子どもを産むなど繁殖に成功していました。おそらくその当時ではスナメリクジラの人工繁殖は世界初だったでしょう。池の西側に沿って地下道が設置されており,階段を降りると池側の壁面が大きなガラス張りになっていて、池の中の魚や飼育を始めたスナメリクジラを鑑賞できるようになっていました。

大宮秀男氏撮影
昭和40年7月17日 大宮秀男氏撮影

海辺の水槽にはウミガメやオオサンショウウオもおり,当時は報道されることも多くて水産関係の学術研究に寄与していたと思われます。北側ゲートを入るとすぐに遊園地になっていて,レジャートレインや飛行タワーなどのアトラクションが設置されていました。

その南側には食堂・休憩できる広間を備えた大きな建物がありました。
大広間では宴会や結婚式をしていたようです。建物の規模や様式からすると戦時中は通信指令所の宿舎として使われていたのではないでしょうか。

建物の東端にゾウ小屋があり,人気者のゾウのハナコが飼育されていました。現在の動物園と異なるのは日に2回,このハナコがパフォーマンスをするところです。海外のショーを模倣したらしいのですが,丸太を渡ったり鼻を利用して様々な技を披露して喝采を浴びていました。
 

1958年 (広島市郷土資料館)


珍しい動物ではライオンのヒロコがいました。広島市の児童公園で飼育していたものを移してきたのですが,当初その獰猛な獣という認識がなかったため簡単な施設に鎖で飼育されていたように思います。ヒロコがいなくなった後に,閉館までトラが飼育されていました。飼料が高額であったので,肉の代わりに魚を与えていたこともあるとお聞きしました。

当時広島市内には一般客用の屋外プールはなく、夏になると海水プールはとてもにぎわっていました。水族館の開館当時には元宇品小学校にもプールが無く,昭和44年まではこの海水プールで水泳指導を行っていました。プール横には大風呂と潮湯の施設があり,海水浴やプール利用後に体を温めて帰宅することができました。

昭和41年 元宇品小学校 創立50周年記念誌から

南側通用口を抜けると広島市営海水浴場になっていました。館外の施設として行楽ボートを150艘買い付け,海岸で貸しボートの営業も行われていました。

後藤新平像 似島学園

池の中央の島に建っていた銅像を、当時まだ幼かった私は水族館経営者の像と記憶していたのですが,実は戦時下に似島検疫所創設に尽力した後藤新平の像であることを最近になって知り驚きました。

施設の老朽化が進んだことから来館者が減っていき,昭和45年に閉館することになりました。現在のディズニーランドの料金と比較してもコストパフォーマンスはかなり良く,戦後のまだ日本が貧しかったころに夢を見させてくれた施設だったと思います。

アース・ミュージアム元宇品 自然観察ガイドの会    
坂谷 晃